彩社会福祉事務所

青唐辛子づくり担当 小川緒理江

Interview

青唐辛子づくり担当
小川 緒理江

NPO法人 縁活

おもやさんはどんな場所ですか?
おもやは障害のある人が働く場所です。2011年にスタートしました。
うちの法人を立ち上げた代表が、以前、障害のある人の入所施設で働いていた経験から、自分の地元の街で障害のある方もない方も一緒に暮らせる街を作りたいと思って、最初は障害のある人のグループホームから始めました。グループホームを始めて2年ぐらい経った頃に、代表の杉田が、親の畑や田んぼをゆくゆくは継がなければならない、というような話が出てきた時に、それを障害のある人と一緒に働く場にしたら、楽しいことができるんじゃないかと思って、始めたのがおもやです。
農業を始めてから、その次に、畑で採れた野菜を無駄なく使い、お客さんに食べてもらって感じてもらう場所としてオモヤキッチン(食堂)を始めました。
自然栽培にこだわっておられますが、最初からそうだったのですか?
最初は有機農法でやろうとしていて、元々農業のプロではなかったので、いろいろ失敗して試行錯誤を繰り返す中で、有機の肥料も使わなくていいんじゃないかと思うようになって、そういう栽培方法として、自然栽培に出会いました。自然栽培は、肥料は有機とか化学肥料とかに関わらず使わない。もちろん農薬も使わないし、除草剤なども一切使わない。そういう栽培方法に出会って、そちらにシフトしていきました。
そういう育て方をしていると体には良いし、食の安全安心は確実。けれども手がかかる。だから一般の農家さんは少し敬遠してしまうところがある。けれど、障害のある人は、むしろいろんなことを人の手でしなければならない農法だからこそ持っている力が生きる場所はたくさんある。輝ける場所がたくさんある。だから障害がある人の働く場としても自然栽培は合うんじゃないかということで自然栽培をやっています。
自然栽培の農作業は行程をいろいろ分解できるから障害のある人ひとりひとりにあった仕事を作りやすい、そう聞いたことがあるのですが。
そもそも農業自体がそういうところはやりやすい。雑草を取るにしても、むしることもできるし,カマを使うこともできる。むしるだけであれば道具を使えない人でもできる。耕すときには、クワを使う、手押しの耕運機を使う、乗る耕運機もある。畝を立てる、大きい石を拾ってどける、そこに種をまく。種をまくのもコツがいるものもあれば、「この中に3粒だけ入れてね」と言えば、3を数えることができたらできる仕事もある。あるいはポットに種を蒔いて芽が出たものを植え替える定植をするのは数が数えられなくても「ここからここにいれて」と伝えたらできる。
作物が育っていく中で「虫とり」もしなければならないけど、虫を発見するのがすごく早い人がいたりする。収穫は大きさで見分けたり、色で見分けたり、意外と難しい。収穫してきた野菜を拭いて土を落としたり、それを量って袋に入れたり、袋のシールを貼ったり、そして出荷する。その時に、お店の人にありがとうと言ってもらえたりして…。
一連の流れの中で、野菜を育てて出荷するまでいろんな仕事があるからどこかしらに関われる所が絶対ある。そして、ただ、関わるだけじゃなくて、そこで自信を持ってしてもらえる仕事があると思います。
虫を見つけるのがすごく早い人とか、たぶん“違い"に敏感な人で、生活の中ではその敏感さがしんどい時もあるだろうけど、農作業の場面ではとても役に立つ。
例えばシールを貼るという作業でも、見本があったらその通りに貼れる人はもちろんたくさんいるけれど、見本がなくてもここの位置に綺麗に貼るということができる人もいる。日常生活の中ではこうじゃなきゃというこだわりがしんどい時もあるけど、シール貼りの時は生きる。すごいなと思う。
他にも農業の良さというのは、土に触れたり、野菜や草に触れることで、気持ちが落ち着くとか、穏やかになるというのは、私も他のスタッフも感じている。例えば、精神障害のある方は、広い場所で作業をすることで気持ちが解放されるのか、症状が軽減していく人もいる。暑いし寒いし、体力的なしんどさはもちろんある。力仕事もいるし。でも気持ち的なしんどさは少ないかな。
おもやさんが大切にしていることはなんですか?
おもやで一番大切にしていることは、"みんなで働く"ということです。法人自体が、"みんなで働く""みんなで暮らす""みんなで笑う"ということを大切にしていてて、だからスタッフが、ただの指導員になったらあかんし、利用者さんが与えられた仕事さえすればOKではない。
働くことの意味や価値を皆さんどんなふうに感じておられますか?
目の前で野菜が売れるところを見る機会は実はそんなに多くはない。でも、出荷するときにお店に並べてたら、並べてるハタからお客さんが「おもやの野菜待ってたのよー!」と言ってくれたりすることがある。おもやの野菜をめがけて買いに来てくれた人にたまたまタイミングが良く会えることが時々あったりする。宅配で野菜を送ったお客さんからお礼の手紙が届いた時にみんなでその手紙を読んで「うれしいね」と話しあったりする。実際にわかりやすいのはそれぐらいかな。
キッチンの方ではこの野菜を使った料理がお客さんに評判が良かったよというような話を農園の方のメンバーに伝えてくれたりすると、話には聞くけれども、実際見ているわけではない。キッチンの料理については、メニューをリニューアルするときはみんなで試食会をしてこんな料理がお客さんに出るんやっていうのはだいたいほぼ全員が感じられたとおもう。
お客さんが喜んでくれているよーっ、という話を聞いて自分の仕事と繋がる人は繋がるけど、それが繋がらない人でも、収穫の時に「こんなに大きいのがとれたー!」とか、できたものを食べてみて「おいしい!」とか、「これはイマイチやったなー」とか、そういうことをみんなで言い合ったりしています。去年は固定種の種できゅうりを作ってみたらものすごい苦かった。もともと苦いきゅうりの種類らしくて「昔は漬物などにしていたから苦くてもいけたのかな」と話したりしてたんですけど。(笑)
自然の中でやってたら、そういうことも起こってくる。その年の雨の量や気温や日照量でも変わってくる。それをみんなで笑いながらやっている?
間違いない品種もあるんです。F1で、今の現代人の味覚に合わせて改良されていたり、病気に強いとか育てやすいとか…。間違いはないんですけど、次世代に種も残せない野菜。それは私たちが大切にしていることとはズレるなと思って固定種や在来種の野菜を育てたいと思っているんですけど、初めて取り組んだ野菜はそんなことに失敗があったりもします。
そういうチャレンジも含めてやっていく。
そうですね。一つの作物に絞ってないからそこで失敗してこけてしまっても他の作物でカバーができたりもしますが、失敗を笑い飛ばして次につなげたいという気持ちが根っこにあるからかな。失敗したらしたで次に繋がるから勉強にもなるし、こけてもタダでは起きない(笑)
失敗することも含めて自然の流れの中でやっていく、そういうやり方をしていることで何か感じることはありますか?
「作物も人も一緒や。」とうちの代表がよく言うんですけど、福祉の世界で支援の仕事ができる人は農業もできる。支援っていうのは相手の人が今何を求めてはるか、何を困ってはるかじっくり見極めて、直接声に上がってこないこともあるけれども、実は困ってはることもあるし、それをしっかり見極めたうえで、そこにあった支援をするというのは大事。農業もそれと一緒で野菜が今何を求めているのか、機械じゃないから何時に水をやったらいい、何日おきにこれをやったらいい、っていう事ではなくて気温や天候で日々変わるし、去年と同じものを育てていてもまったく同じでは絶対にないし、何が必要か見極めないといけない。必要以上のことをしてしまうと「もうしんどいわー」と向こうが悲鳴を上げる。
人も野菜も一緒。土も野菜も無理や負担をかけるようなことはしたくない。化学肥料を使い続けたら、最終的にはその土が痩せてしまって…。それは自然な形じゃない。自然栽培では土の中の微生物の力でそれが野菜の栄養になるんだけれども、その微生物ですら住めない土になってしまう。微生物の力がないから肥料で補う。となってしまうと、負の連鎖になってしまうかな。
自然に循環していたものを、無理をさせて断ち切ってしまう。cenci の坂本シェフも循環の話をしていました。では、今回のゆず胡椒プロジェクトについての思いを聞かしてください。
最初お話を聞いたとき、cenciさんがすごい店というのは知ってて、なぜおもやに話をくれたのかなと思って、話を聞いていくと、おもやが、「福祉であって、農家である」という両方に重点を置いているからこそ選んでくれたんだな、うちは福祉であるし、農家であるし両方に意味があると思ってくれたのがすごくありがたいなと思った。どっちの部分でも、手を抜いたらあかんな、というか、もちろん手を抜こうなんて思っていないけれども、「福祉やし」という甘えは出したくない。
逆に農業1本でするから、そっちに必死で利用者さんの支援は後回し、になったらあかんとも思ってて、両方をちゃんとやろうと思ってやってきて、一流のレストランであるcenciさんに、そういうところを見てもらって選んでもらってるのなら、それに応えたいという思いがどんどん強くなった。すごく嬉しかった。作っていくやり取りの中で、うちらが責任もって作った野菜を、みずほさんが責任もって加工して、cenciがおもやと瑞穂を選んだというところでの責任でやりたいと言ってくれたこともすごくありがたいと思ったし、そこにちゃんと応えられる野菜を作らなあかんっていうのもプレッシャー…(笑)
"良い野菜を作るために、障害のある人を使う"っていうふうになってしまったらあかん、その意味ではここは福祉施設だし、障害のある人の支援をしないのであれば福祉施設の看板は下ろさなあかん。仕事に人を合わすんじゃなくて、人に合わせて仕事を作る、というのは、障害者福祉の世界では何十年もやり続けてきたこと。それが今、障害福祉業界全体的に少し崩れてきているように感じる時もある。
おもやも危ない時期が過去にはあった。利用希望者が増えてきたときに、定員割れから定員オーバーするようになってきた。その頃に、「畑を回さなあかん!」「利用者も増えてきたーっ!」って…。目が離せない人もいるし、スタッフの余裕がなくなってきて、ひとりひとりに合わせた支援を考えられなくなってきて、「とりあえず1日無事に過ごせたらそれでいい。」ってなりかけてた時があって…。でも、「それではあかん」てみんなで支援の勉強もしていって、もう一度自分たちの立ち位置を見直した。
おもやのスタッフは福祉の勉強をずっとしてきた人ばかりではないし、まだまだそこに関しては力が足りていない。けど、おもやに来てくれた、おもやを選んでくれた利用者さんにちゃんと満足のいく支援を届けなあかんっていうのはずっと思ってて。逆に農業の方を、「福祉やしこんなもん。」ていうふうにもしたくない。それはお客さんに対して失礼。「福祉の仕事やし、障害のある人の仕事やし、そんなに期待してへんよー」とは思って欲しくないし。両方を大切にしていく。
障害者施設だから特別に見えるかもしれないけれど、一般の会社でも、社員一人ひとりを大切にすることがあたりまえであってほしい。
おもやでもスタッフも利用者さんも一緒やと思ってて、利用者さんが快適に過ごせるためにスタッフが無理をしていたら意味がないし、どちらもが楽しいと思って仕事してほしいし、やりがいをもって働いて、社会から求められる存在でありたい。
そういう考え方のもとにあるのは、障害があるとかないとか関係なく、「みんなで働く、暮らす、笑う」という理念。子どももお年寄りもみんなで。うちは障害のある人が働きに来る場ではあるけれども、将来的には、こんな場所はなくなったらいいと思っていて、どこでもあたりまえに働けたら。そもそもここに来る人たちは障害者手帳があるとかないとかではなく、今の社会の中で生きづらくて、何らかの支援がいるから来る。今の社会が生きづらくなければ特別な支援はなくてもいい。そういう社会にしていきたいと思います。それが本当の「みんなで一緒に暮らし働き笑う」になるのかなと思います。

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